整体院長のプロフィール
資格
日本整体カイロ療術連合財団公認 カイロプラクター
中国上海中医薬大学鍼灸薬膳推拿人体解剖学科修了
財団法人 日本ウエルネス協会認定 ウエルネスリーダー
整体院長の経歴
東京都あきる野市で、双子の兄として生まれ、3人兄弟の二男として育つ。
小学生の時には野球、中学校ではハンドボール部に入部しクラブ活動。
立川市にある高校を卒業後、大学へ。
川崎市にある大学で、農業土木の勉強をする。
大学卒業後、建設コンサルタント会社で、設計業務を経験する。
設計会社退社後、しばらくして整体学校に入学する。
在学中は、トレーニングジムで働きながら、トレーニングの基礎を勉強する。
整体学校を卒業後、
同学校を経営する会社に就職して、施術院にて臨床を経験する。
学校では生徒指導を担当し、技術、知識を深める。
会社を退社後、川口市の整形外科で勤務。
その後、しばらくして、所沢市で川口整体院を開院し、現在にいたる。
整体院長から
「砂漠に緑を!」を将来の仕事にできたらと思い、大学では農業土木を専門に勉強してきました。
しかし、理想が現実になることはなく、卒業と同時に入社したのは、公共事業関係の設計を主とする会社でした。
どこか、違和感を感じながらも、自分なりに一生懸命努力を続けていましたが、深夜まで続く残業や種々のストレスなどで、私は社会人として責任ある行動がとれていませんでした。
当時の私は、慣れない設計業務に悪戦苦闘。上司とのコミュニケーションもうまくとれず、ストレスを抱える日々を送ります。
設計の仕事は、パソコンを使って図面を描くことが多く、少しの休憩時間以外は、一日中座った状態での作業になります。そんなパソコン仕事で疲労が蓄積してくると、異常に左肩が痛かったことや、少し首を振っただけで、右側頭部を走る強烈な頭痛がしたことを覚えています。
残業続きの毎日に、ストレス発散を目的とした暴飲暴食と、寝る間を惜しんでの夜遊びが続きました。当然のことながら、このような生活の連続で、私の身体はどんどん消耗していきました。
そんなある日、とうとう私は体調を崩し、会社を休むことになってしまいました。その日、洗面所の鏡に映った自分の姿は今でも忘れません。ドス黒く変色した顔色にやつれた顔、あばら骨が浮きでた貧相な体。鏡に映っているのが、自分だとはとても思えませんでした。本当にショックでした。
社内では、やはり同じような生活を続けている先輩方が多数いて、「持病の一つ二つは当り前、入院して一人前」なんてことが冗談ながらも言われていました。
こんな生活を続けていたら、病気になって早死にしてしまう。そんなことを本気で考えるようになりました。
それからというもの、野菜を意識的に食べたり、週末は温泉に行って身体を癒し、睡眠をとることを意識してきましたが、結局、本調子になりきれなかったことを覚えています。
今だからこそ分かるのですが、健康に必要な基本的原則というものを知らなかったことが致命的でした。どんなことが体に影響を与えるのか教えてくれる人がいたら、私の体調は変わっていたと思います。
結局私は、色々な諸事情もあって、この設計会社を辞めることになります。
その後、深夜の工場でコピー機部品の生産や、芝生産農家で出荷作業などの仕事を経験しました。
ある日、私は整体という仕事があることを知りました。
整体という仕事を調べてみると、私が経験してきた出来事というピースが、どこかピタリと枠に収まる感覚がするのです。私は自分の進むべき道を示された感覚に、少し興奮を覚えました。
経験してきた仕事や出来事が、すべてこの道で活かせるのではないか?今までの経験はこの道に進むためにあるのではないのか?
私は設計会社に勤めている時に、自分の身体を犠牲にしながら、仕事をしている人が、どれほど多いのかを知りました。また、私と同じように、健康に必要な基本的原則を知らないために、世間にあふれる健康情報に流され、体調が良くならない人が多くいることも想像できました。
これらの人の手助けを、私はできるじゃないか!
私に迷いはありませんでした。
整体の道に進もう!
それから私は、東京にある大手整体学校に進みます。そして、学校で2年間しっかり技術を学びました。
卒業後は、整体学校を経営する会社に就職。
直営センターで臨床経験を積み、学校で生徒への技術指導で技術と知識を深めてきました。そして、退職後は、整形外科の治療現場を経験したいと思い、働き始めます。
その後、所沢市 東所沢で整体院を開業し、しばらくの間、整形外科での仕事と整体院の仕事をしてきましたが、平成22年9月からは、整体院の仕事に専念しています。
整体は自分の体一つで、病んでいる人の手助けができ、そして多くの人から感謝されるすばらしい職業です。そして、多くの人に接することで、自らは多くの事を学ぶことができます。本当に毎日が勉強になります。
私はこの職業に就くことができたことに大変感謝しています。そして、その気持ちを忘れずに、毎日精進することが、現在の私に課せられた使命だと感じています。
そうそう、砂漠に緑を!
に関する仕事をするという若かりし頃の願望は、今も心の中に持ち続けています。
いつか、職業としてではなく、違った形で貢献できるよう頑張りたいと思っています。